September 26, 2006

石垣人情記(一日目)

9月21日

旅人、午前4時起床。
まっくらな中、思考開始されない頭で、
玄関に置いてあったシュノーケルセットの
バッグとパンツの入ったリュックを持って、
井の頭の6帖の邸宅を出る。
4時半に吉祥寺発やっと羽田についたのが6時10分。
6時40分、羽田から石垣に向けて、
ANAのちっこい飛行機が離陸。

るるぶを読もうとこころみるも、
速攻、就寝。

10時30分、気がつくと石垣空港に着陸。
やる気がないのではないかと思う程、
小さい空港である。
新潟市の万代シティバスセンターの方が
数倍でかい。

おまけに曇っている。

照明のねえさんの教えてくれた民宿は、
東京で何度電話をかけても繋がらず、
結局泊まる所も決めずに石垣入りとなった。

旅人、とりあえず市街地に向かうため
バスに乗車。
他にどなたも乗らない。
走り出したバス。しかし、窓から見える景色は
被災地。

17日に、超大型の台風13号が残した被害は、
ちょっとありえない規模であった。
まず、信号機が点灯していない。
沿道のヤシが根っこから抜けて倒れている。
車のフロントガラスがない。
家の屋根がない。


正直に心情を描写すると、
わたし何しに来たんだっけ・・・


とりあえず、石垣で一カ所しかない、
いわゆる「市街」で下車。
こんな被災地で、曇り空の下、
使い方の解らないシュノーケルセットが
そうとうずっしり重い。
泊まるとこ、どうしよう。
足もないし、どうしよう。
自転車かりようか。
ぐるぐる歩くこと30分。何もきまんない。

寂寥感を覚えた旅人は、しかし、
こういう状況には馴れている。
何をしたらいいか解らない時は、
一にも二にもなく、
メシをくうものだ。


しかし時間が早すぎてメシ屋がやってない。
ぐるぐる歩くこと30分。
さみしさ、MAX。

やっと一件の八重山そば屋を発見。
八重山そばとは、沖縄のソーキそばとおなじだが、
骨つき肉のかわりに豚の骨無し肉がのっている。
そうとうあっさりしててうまい。
ea11895a.jpg


うまい。

にわかに戦闘意欲のわいた旅人は、
そば屋の隣にあった「素泊まり1800円」の
宿にとびこむ。

管理人、留守。
悪いけど、勝手に荷物置く。
どうやら8人の相部屋。
そしたら空いてるだろ、一人分くらい。

よし、ここから石垣ライフが始まるのだ。
とはいえ、何しよう。

フロントの前に、「レンタバイク、一日1000円」の
張り紙を発見。「けんたあやあ」という店らしい。
何でも良いけど安い。
とりあえず電話をかけてみる。
10分後、赤いバンダナをまいた妙にインパクトある
おじちゃん登場。これが健さんだった。

きけば、吉祥寺の老舗の喫茶店「多奈加亭」の
店長を10年も前にやっていたひと!!!
なんでこんなところに。

台風の被害が如何に酷かったかという新聞を
読ませてもらい、とんでもないところに来たことを知る。
電話が繋がらなかった民宿の一帯は、
いまだに停電中。島の半分がまだ電気復旧していないのだ。
こんな感じの被災地で、旅人は生まれて初めて
「原チャリ」というものにのった。

今日は天気も悪いし、海の潜り方もわかんないから、
とりあえず島一周、走ってみることに。
市街地は3分でとぎれ、あとはひたすら農道。
しかし道の両脇の電信柱は根元からぽっきり
折れて全部倒れているわ、
電線が歩道にのたうっているわ、
トタン屋根が紙くずのように木にひっかかっているわ、
とにかく被害ウォッチング。
雨に降られて、カッパ着てはしるはしる。

一周は140km程度だから、法定速度で行っても、
ものの3時間で一周だ。
途中、島の東海岸、白保(しらほ)という浜で
海を眺めていると、島のおじちゃんたちが
屋根のぶっとんだ小屋の前にいたので、話かけてみた。
「誰も海に入っていないけど、入れるんですか、ここは」
と旅人が問うと
「今日は天気が悪いから誰も入っていない。
お前、明日の12時半、ここに来い。海に入れてやる」
と言う。
これが文雄おじ
ほんとか嘘かちょっと判別つかぬまま、一周。

夜、宿に戻ったものの、どこで呑もう。
旅人、健さんに電話して居酒屋情報を聞く。

30分後、結局健さんを引っ張り出し、
行きつけのバーに連れて行ってもらう。
これが、かなえママのお店、swingだった。

この日はswingで島酒(泡盛)を楽しく呑む。
帰り際、ママが、「2日後、息子夫婦が来るから、
一緒に泳ぎに行こう」と誘ってくれた。
もともと計画ゼロの旅人、二つ返事で「喜んで」

島での人脈が全てできあがった、第一日目であった。



【二日目に続く】

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
::::最近のコメ::::