March 13, 2014

とうほぐツアーレポート(長いけどいいすか!)

震災から3年が経ちました。


先週末7,8,9日の2泊3日で、宮城県へ行ってきました。

写真 11



コースは色々なご縁で知り合いの出来た、宮城県の北の沿岸ツアー。

石巻市~女川町~南三陸町~本吉・小泉~気仙沼市
の強行ハシゴ日程。たくさんの地元の人たちに出逢う旅。

map20120329

※47NEWSさんサイトより画像を借用。リンクはこちら


今回は一人ではありません。 友達を5人、連れて行きました。

写真22



前回、お正月の本吉・小泉訪問で、「交流人口を増やしたい」
という地元の多くの声を聞いたこと、
また、遠くで勝手に想像しているより全然復興が遅い現実を
肉眼で確認するのが何より大切だと思ったこと、

それがきっかけで、

このブログやSNSを通じて、被災地に行くことに
興味がある人を募集したところ、新潟高校の同級生、小劇場仲間、
音楽仲間、ブログ読者など女性3名、男性2名が手を挙げてくれ、
新潟、東京、千葉から私を含めて6名の小編隊となりました。

連絡をくれて直前まで調整してくれた人が、実際にはその倍、いました。

「気になっているよ」というたくさんの声が聞けて良かったです。
自分で声に出すと、そこにちょびっとの覚悟と責任が生まれて
行動に繋がると思うので。


かけ足でご報告を。

(といっても軽く長距離になりますので、お時間のあるときに読んで下さい)


お天気に恵まれ、しかし東北沿岸部らしい、風の強い激サムの3日間。

やっぱり東北の沿岸部は寒さがヒトケタ違いますね。
初めての参加者には防寒具に加えてカッパを用意してもらいました。
この「防風対策」がかなり温かさを高めてくれるのです。


一日目は石巻市から。
地元のガイドさんを頼んで、町の様子、被害の状況、現在の課題を
教えてもらいながら、町を走りました。

心に残ったのは、人の気持ちや態度の話。
同じ町の中でも、被害が出た沿岸地域と、すぐ隣だけど無事だった
内陸地域では意識が全く違い、作業に手を貸そうとしないとか、
(無事だったご近所さんよりも、遠くからきたボランティアが必死になっているのは
何か違うんじゃないかと最近思い始めた、とベテランボランティアさんが言っていた)

居住不能と定められ、国が買い上げると決まった土地と、
道路一本隔てて
居住可能と指定され、流された家のローンもあるのに
自立再建しか選択肢がない土地。

それぞれの問題点と、再建が進まない理由。

家族の気持ちのすれ違い。

話しづらいことであったでしょうに、私たちのためにご自分の心境まで
お話下さいました。名ガイド中井さん、本当に感謝です。

「東日本大震災を風化させない活動推進センター」のサイトはこちら



夕方、そもそも私が東北にくるきっかけになった、昨年8月の
女川中学校での仕事でお世話になった女川中学校の先生のお宅へ。

沿岸に近かった先生のお宅は津波で流され、新築移転されていました。
お宅に伺って初めて、先生のいつも見せて下さる笑顔の下に、
量り知れないほどの悲しみを抱えていらっしゃることを知ってしまい
言いようのない、何か、が溢れそうになりましたが、

それを敢えて、わたしに見せて下さった先生には、
一緒に笑う事で、繋がり続けることで、感謝を伝えようと思います。


この日は酒盛り。他の先生たちもみんな来て、翌日が卒業式だというのに
大変豪快な飲みっぷりでいらっしゃいました。東北人、つよい。

女川のせんせ方、だいすき。ありがとう。

家庭科の先生(入道さまみたいな先生!)がわかめ、めかぶ、ふのり、
めかじきなど、地場産の美味しい海の食材で御馳走作ってくれました!

うまいんだ、これがマジ。

8月7日のブログ記事「女川公演レポート」はこちら



その日は女川の、土木関係者さんが使う宿泊施設に泊めて頂き
日の出を拝み、早朝に出発。女川原発を遠くから眺めた後、

女川中学校の卒業式に参列!

この日の卒業生たちは震災直後に入学した子たち。
体育館が被災し、図書室で、私服で、入学式を行ったそう。

被害のあった第一中、第二中を統合して一つになった「女川中学校」の、
記念すべき、開校第一回目の卒業式だったのです。

写真 12


穏やかな海への祈りと果てしない若さと希望を歌った校歌に涙し
震災を超えて強く逞しく、感謝を絶やさない卒業生の答辞に涙し

つつがなく式が終わって、先生が閉会宣言を告げたその時、
卒業生の中から「ちょっと待ったァーー!!」の声が。
声の主は、意外なことに答辞を読んだ優等生そうなカレ。

なんと、これまでお世話になった先生方へむけて、自分たちで用意した曲を大合唱。
歌ううちに自然と肩を組み、生徒同士で肩車。在校生も派手な手拍子で盛り上げ、
先生とご両親を号泣させる、最高に素晴らしい卒業式でした。
 
この子たちは、きっと震災で強く生まれ変わった子どもたちなのです。
そして「この子たちがいたから頑張れた」と話すご家族、
自身も被災しながら彼らを導き支え続けた先生がたの、
強くて美しい姿を目撃することができました。

彼らの行く手に幸あれと心から祈ります。

そして私を初めて女川に連れて来てくれ、誰よりもここを愛している
Yさんと皆さんに心からの尊敬を。ご一緒できて嬉しかった。


女川中学校のサイトはこちら。堅苦しくなくてとても温かいサイト



それから車を駆って、一路南三陸へ。

途中、南三陸さんさん商店街で「春告げ丼」を食す!ぎゃ~~うまい!

写真16

南三陸キラキラ丼シリーズについての情報はこちら!食べにいく価値あり! 


そして現地コーディネーターの阿部さんに再会。

小泉に宿泊している他のスタッフさんたちと一緒に、ガイドしてもらいながら、
減災講和を聞きました。

写真 9

前回と同様に、真摯で、熱い阿部さんのお話。

2回目だった私が一番驚いたのは、その「鮮度」。
だってこの人は、毎日ここへきて、同じ話を私たちにするわけですよね。
ちょっと飽きたり、なおざりになっても仕方ないと思うんです。
(実際、わたし今回そういう風に感じさせるガイドさんを目にしましたし)

しかし、阿部さんは相変わらず全力で、ルーティンっぽさ、日常っぽさを
ちっとも感じさせない。

毎日新しい気持ちで、この現状を伝えなければと考えている証拠。
そして、阿部さんやここの住民は、決して日常を取り戻してはいない証拠です。

感謝。


震災の話にとどまらず、現状を生んでいる行政の話、住民感情の話、
様々聞いているうちに辺りは真っ暗になり、夕ご飯。
みんなで気仙沼ホルモン鍋を食べてこの日は終了。

自身も被災し仮設から通勤する正義のホテルマン・渡邊さんの計らいで
お部屋をとっていただいた、「南三陸ホテル 観洋」さんへ移動。

渡邊さん、ありがとう!夜のお風呂から見るカモメ、蛍かと思った。綺麗だった~
これからのご活躍、心から応援するとともに、なんかあったら手伝いますから。

絶景風呂がお勧め!ホテル観洋サイト


夜更けまで、感想を語り合ったり、意見を交換したり、
全然関係ない話で大盛り上がりしたり、新潟の酒を開けたりして、
愉しみました。やっぱり大勢で来るって、最高だ。


翌朝は早くから、他のボランティア団体などと合流して、
津波記憶石前で講話をきいたあと、仮設住宅訪問、海岸清掃、献花式。

写真 2


メモリアルデー直前の週末だったので、様々な団体が入っています。

かつてサーファーたちの聖地、小泉海岸では、サーファー団体に混ざって
海岸清掃。イケイケのお兄さんたちが一生懸命、鉄くずやボロキレを拾う
姿はカッコ良かったです。ここの海を愛しているのですね。

写真 3


写真に見えるツブツブは、ほとんどが大型の貝の殻であります。
おそらく、津波で海底の泥が巻きあがって、普段浜辺では見ないであろう
沖の海底に住む貝たちが、みんなここまできちゃったんだろうな。

この海岸線、地殻変動で200Mも内陸にずれてしまったのです。
上の写真に見えている海水の部分は、ほとんど全部、陸地だったというので
驚きです。そしてその海底となった土地に地権者がいるのだということも。

写真17
※小泉海岸にたたずむシーサイドパレス。取り壊しが決まったそう。


献花式に出た後、小泉自然楽校へ移動し、老人クラブの美女4名と、
三陸わかめづくしのお料理教室を開催。

そして、またもや自然楽校名物、「水道凍結」の洗礼を受け、
湧水とバケツと柄杓を駆使しての、白熱のキッチンスタジアム。

今回のメンバーは男子も女子も、サバイバル力が高かったですね。
屋外である、水が出ない、時間がないという逆境を当然かのように
さらりと受け入れて作業にあたってくれました。あなたがた、凄いよ!

女子力発揮しつつサバイバル力も出してくるあたりが…
新潟高校生女子なら当然か。あなどるべからず、だったね!!

写真21

美女先生方は、厳しい。特に、ニックネーム「校長先生」は厳しい。
お皿の選び方一つでも、拘りがあり、「あなたのやりかたと、わたしの
やりかたは、違うの。わたしの方を、教えてあげるから、覚えなさい!」
と言って、せっかく出したお皿、全部却下。うーん、まだまだだ、わたし。

そして試合終了。ランチとなりました。

三陸産のわかめは、3月が旬。

わかめ汁、くきわかめのおしんこ、めかぶとろろ、わかめとおいもの炊き上げ、
わかめサラダ2種。美味しい~~美味しい~~こんなにプリップリのわかめ、
見たことも噛んだこともないぞ!!!三陸わかめ、おそるべし~~

写真 4
 
わたしが土産で持って行った新潟の柿の種(梅味)を喜ぶ美女たち。
わたしはわかめの魅力に取り憑かれて、あたまにわかめを載せています。

写真20


 その後婦人会の美女2名が合流して、涙が出るほど爆笑のティータイム。
「旦那のお義母さんに何をプレゼントすると効果的か」という話について
実に実利的な、様々のアドバイスを頂きました。爆笑の嵐。

写真 5
※小泉地区老人クラブのみなさんと。(ご本人たち曰く、「モデルクラブ」。)

美女たちと話していると、震災の話はひとっつも出ない。
心の中は分からないけど、このおばあちゃんたちは、私たちと一緒にいる
時間をめいっぱい楽しもうと、わたしたちを全力でもてなそうと、
きっと頑張って笑っている。私たちが愉しむ顔を見ることで、自分も元気に
なろうとしている。だから余計なことは考えず、めいっぱい、笑いました。

おばあちゃん、本当に楽しかったね。ありがとう。
また、笑いに来るね。
今日もおばあちゃんたちが、笑顔でいますようにと、祈らずにはいられない。

おばあちゃん、斎藤盛さん、美味しいご飯と素敵なお話、ありがとう。
あといつもながら楽校の面倒見て下さる及川家のみなさん、お世話になりました。

毎度おなじみ小泉自然楽校のサイトはこちら


出発前の2時46分、小泉中学校仮設住宅周辺の皆さんと一緒に、
集会所での黙祷・献花式に出席させて頂きました。

海を望むその集会所ではお経があげられ、この地に住む人たちが、
鎮魂と海の平穏を祈り、復興への誓いを新たにしていたのだと思います。

海は凪いで、青空が広がり、穏やかな日でした。


そして私たちは阿部さんに別れを告げ、東北から、出発しました。
今回は、また来るっていう確信めいたものがありました。
他のメンバーはどうだったかな。

小泉に宿泊していた行動派メンバーちあきちゃん、個性派れおくん、
そして地元でがんばるのっつ君、あと~名前がわかんなくなったけどメガネ君(ごめん!)、
ご一緒させてくれてありがとう。また東北で会えることを願います。

阿部さん、忙しい日程のときに面倒かけましたが素晴らしい内容の
アクティビティ計画でした。ありがとうございました。また来ます。

仙台へみんなを送る車中、またいろんな話をして、
本当にメンバーに恵まれた、素晴らしいグループで旅をすることができました。
A子、A美、K太、S下さん、M絵さん、本当にありがとう。
皆さんと旅が出来て、いっぱい新しい発見ができました。

初めて東北に行く人に、いろんなものを見せてあげるぞ!
なんて思っていたけどおこがましかったですね。
皆さんからももらったし、「2回目いく」という行為が
また全然違うものだって分かりました。

本当の交流は、ここからなんだ。


行くたびに自分は無力だと思い知る。
わたしには体験談をブログに書く、くらいしかできない、いまんとこ。

でも実際、私がブログに書いただけで、5人が東北に足を運んでくれた。
もっと大きい数の人たちが、興味を持ってくれました。

それって小さいけれど、わたしの目指した「拡げて、繋がる」
なんじゃないかって思います。


今回の記事はお気づきの通り、ほとんど「人」についてのレポートのみです。


現状の景色や問題点の詳細を、ここに書いてもさ。

荒涼とした更地、ダンプの交通量、片付く気配の無いガレキ、廃墟、鉄の山とか

他人の目で見た景色の描写って、文字で読んでも入ってこなくないですか?
そしてもし頑張って想像しても、現実は決して同じではないと思います。
写真や映像を見たとしても、そこに立って空気を吸わなければ、違う。

私がそうなのです。
現在もまだ自分が訪れていない地域については、私には何にも見えてない。

だから風景の描写は今回しないので、できれば、肉眼で確認してもらえたら嬉しい。
それとか、ニュースやネットでたくさん、写真や情報は日々出ているので、
ここをきっかけに興味を持って色々検索してくれたら素晴らしいし、
みなさんの知り得たことをまた私にぜひ、フィードバックしてほしいと思います。


次回はご許可を得て、参加者の皆さんの感想を紹介します。


女川の先生からもらった、石巻の酒をのみながら
ちびちびと3日もかけて大切に、この文章書いたナナコでした。

読んで下さった皆様に、感謝です。

写真15

M先生、ありがとう。また、お酒、飲みにいくね。



【ひとまず、おわり。】 

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