April 2012
April 28, 2012
いりおもてじま冒険記
長らくご無沙汰しておりました。読者の皆さま、すみません。
4月の真ん中から一週間、石垣島と西表島に行ってきました
ので、これに関するレポートを少し。
(どうぞ暇つぶしに、こちらの写真集をご覧ください。 )
photo by nanaco & aya takahashi
さて新潟でフリーの舞台スタッフをやっていますが、
フリーランスというのは安定感がないもので、
仮押さえとか、助成金待ちとかで、もしかしたら仕事入るかも、と
ある程度まとまった日数の発注を予想して予定を空けておいたら
やっぱり先方の都合で無くなっちゃうなんてことはしょっちゅうで、
そんな時は毎回、大いに落ち込んでいたんですけれども、
余りにもしょっちゅうそんなことがあるので、
「あ、なるほど、しょっちゅうなんだ」
と気に病むことじゃないことに気づいたわけです。ようやく。
とは言え
新潟にいると、キャンセル出たからとすぐ代わりの現場で埋められるほど
現場数も多くないので、すっぱり切り替えて、休暇をとることに!
そんなタイミングで友人のayaさんが「離島で働く」と言って
唐突に西表島に移住してしまった。
よく分からないが、これは、いま、行くしかない。
呼ばれている。気がする。
西表島は日本の最南端。沖縄本島から、石垣までは飛行機、
石垣から高速船で45分さらに南下した洋上に浮かぶ島。
2006年に、これも衝動的に石垣島に行っているのだが
(七井橋過去記事「石垣人情記(準備)」長編です、どうぞ)
その時は石垣島で、余りにも魅力的な人々と出逢ったがために、
その先の離島まで行けずに終わったという心残りもあった。
石垣のスナックのママ、レンタルバイク屋のおじちゃんに
連絡を取り、旧交を温めようというサブ計画もひっさげて、
早朝にコタツから抜け出てバスに乗り、積雪3メートルの魚沼を
駆け抜けて、羽田空港からいざ離陸。またノープラン。
石垣空港まで迎えに来てくれたおっちゃん。
5年半の間に、お互いに随分歳をとっていて、お互いに状況は
色々変わっていたが、泡盛と音楽でいっぱいの懐かしいスナックで、
ママもお客さんも変わらず待っていてくれた。
「ななこの旅程、最終日が石垣島トライアスロンの開催日だから、
見ていけばいいさ~~」ということで、予定が決まり始める。
泡盛の抜けない翌朝、離島桟橋から、まずは日帰りで竹富島へ渡る。
大自然相手の冒険がスタート。ちゃりで。
南国でサイクリング~~♪♪ なのだが、なんだか空気が怖い。
その理由はどうやら、大気に満ちている生命力の種類の違いらしい。
新潟の植物はどちらかというと「耐え忍びます。なんとかまた後程、
芽を出したいと思います。」といった細く長い生命力。
それがここでは「征服!繁殖!お前を倒してでも俺が繁殖!」と
いう、熾烈で肉食系の太くサバイバルな生命力。
それがこの島の大気に充満している。
いつも思うんだけど植物の気というのは、克明に空気に現れる。
匂い、というよりホルモンのような何か。物質的な何か。
まだ桜も咲かない、雪深い新潟から出てきたためか、
水圧の急激な変化に体が順応できないように、その気圧変化、
自分を押しつぶしてきそうなドギツイ生命力に嫌悪感。
石垣島は都市部が多いので、余り感じなかったのだが、
この竹富島、これから向かう西表島は島のほとんどがジャングルだ。
大丈夫かな、わたし。むせかえるような土の匂いが満ちている。
八重山諸島の離島へのアクセスは、すべて石垣島の離島桟橋からである。
他の島同士を移動するルートはないため、一度石垣へ戻り、また船で
いよいよ密林の島、西表を目指した。
そして始まった、ayaさんとの4日間である。
ayaさんは私が四季を辞めてから東京の仕事で出会った照明の
お姉さん。私より少し年上で気が合って、何度も飲みに行った、
自分の直感に素直に生きる、頼りになる素敵な女性。
数ヶ月前に西表に引っ越し、民宿に住み込みで、ジャングルの
ツアーガイドとして働いている。
ayaさんに案内してもらって、初めてジャングルに踏み入った。
はじめは怖かったジャングルの空気だけど、
ayaさんにひとつひとつ説明してもらう。
「この根は、この土壌でも台風に耐えるためにこの形を選んだの」
「この葉は、下の葉に光をあてるために自分が穴だらけになったの」
「この幹は、伸びるために枝を切り落として捨てていくの」
「この実は、中に虫を住まわせていて、持ちつ持たれつ生きてるの」
怖かった植物たちは、あたりまえだけど、必死に工夫して生きていた。
他のために体を削り、他があって成り立ち、朽ちて他の養分となる。
森。河。スコール。水没した携帯。巨大なおにぎり。トカゲのしっぽ。
海。干潟。蟹の巣穴。サンゴ。素潜り。ウミガメ。潮の満ち引き。
自分の農園、灯りの無い道。虫の声、潮の音、星、風、ハンモック。
オリオンビール、小さなわたしたち、交錯する、人生。
満潮と干潮の時刻、天候、体力、体調、ルート、相手の気持ち。
すべてに同時に、気を配る。
森も海も必死に生きているこの島で、
ayaさんは、必死に生きていた。
この島がayaさんを呼んでいて、
一体になって生きようと言ったんだと思う。
最終日は石垣に戻った。スナックのママが早朝海に飛び込み、
トライアスロン3種完走するのを見届けて飛行機に乗った。
煩わしい現実から逃れるすべは、
世界の果てまで行ったって存在しないけど、
人間は心豊かに、生きられるんだよ。とこの島々は言った。
「なるべく早く戻ってこいよ~。
ま、時間が空いてもこっちはずっと待ってるからさ~」
と、空港でおじちゃんが、言った。
(ウェブアルバム flickr 【Iriomote,2012】 )
4月の真ん中から一週間、石垣島と西表島に行ってきました
ので、これに関するレポートを少し。
(どうぞ暇つぶしに、こちらの写真集をご覧ください。 )
photo by nanaco & aya takahashi
さて新潟でフリーの舞台スタッフをやっていますが、
フリーランスというのは安定感がないもので、
仮押さえとか、助成金待ちとかで、もしかしたら仕事入るかも、と
ある程度まとまった日数の発注を予想して予定を空けておいたら
やっぱり先方の都合で無くなっちゃうなんてことはしょっちゅうで、
そんな時は毎回、大いに落ち込んでいたんですけれども、
余りにもしょっちゅうそんなことがあるので、
「あ、なるほど、しょっちゅうなんだ」
と気に病むことじゃないことに気づいたわけです。ようやく。
とは言え
新潟にいると、キャンセル出たからとすぐ代わりの現場で埋められるほど
現場数も多くないので、すっぱり切り替えて、休暇をとることに!
そんなタイミングで友人のayaさんが「離島で働く」と言って
唐突に西表島に移住してしまった。
よく分からないが、これは、いま、行くしかない。
呼ばれている。気がする。
西表島は日本の最南端。沖縄本島から、石垣までは飛行機、
石垣から高速船で45分さらに南下した洋上に浮かぶ島。
2006年に、これも衝動的に石垣島に行っているのだが
(七井橋過去記事「石垣人情記(準備)」長編です、どうぞ)
その時は石垣島で、余りにも魅力的な人々と出逢ったがために、
その先の離島まで行けずに終わったという心残りもあった。
石垣のスナックのママ、レンタルバイク屋のおじちゃんに
連絡を取り、旧交を温めようというサブ計画もひっさげて、
早朝にコタツから抜け出てバスに乗り、積雪3メートルの魚沼を
駆け抜けて、羽田空港からいざ離陸。またノープラン。
石垣空港まで迎えに来てくれたおっちゃん。
5年半の間に、お互いに随分歳をとっていて、お互いに状況は
色々変わっていたが、泡盛と音楽でいっぱいの懐かしいスナックで、
ママもお客さんも変わらず待っていてくれた。
「ななこの旅程、最終日が石垣島トライアスロンの開催日だから、
見ていけばいいさ~~」ということで、予定が決まり始める。
泡盛の抜けない翌朝、離島桟橋から、まずは日帰りで竹富島へ渡る。
大自然相手の冒険がスタート。ちゃりで。
南国でサイクリング~~♪♪ なのだが、なんだか空気が怖い。
その理由はどうやら、大気に満ちている生命力の種類の違いらしい。
新潟の植物はどちらかというと「耐え忍びます。なんとかまた後程、
芽を出したいと思います。」といった細く長い生命力。
それがここでは「征服!繁殖!お前を倒してでも俺が繁殖!」と
いう、熾烈で肉食系の太くサバイバルな生命力。
それがこの島の大気に充満している。
いつも思うんだけど植物の気というのは、克明に空気に現れる。
匂い、というよりホルモンのような何か。物質的な何か。
まだ桜も咲かない、雪深い新潟から出てきたためか、
水圧の急激な変化に体が順応できないように、その気圧変化、
自分を押しつぶしてきそうなドギツイ生命力に嫌悪感。
石垣島は都市部が多いので、余り感じなかったのだが、
この竹富島、これから向かう西表島は島のほとんどがジャングルだ。
大丈夫かな、わたし。むせかえるような土の匂いが満ちている。
八重山諸島の離島へのアクセスは、すべて石垣島の離島桟橋からである。
他の島同士を移動するルートはないため、一度石垣へ戻り、また船で
いよいよ密林の島、西表を目指した。
そして始まった、ayaさんとの4日間である。
ayaさんは私が四季を辞めてから東京の仕事で出会った照明の
お姉さん。私より少し年上で気が合って、何度も飲みに行った、
自分の直感に素直に生きる、頼りになる素敵な女性。
数ヶ月前に西表に引っ越し、民宿に住み込みで、ジャングルの
ツアーガイドとして働いている。
ayaさんに案内してもらって、初めてジャングルに踏み入った。
はじめは怖かったジャングルの空気だけど、
ayaさんにひとつひとつ説明してもらう。
「この根は、この土壌でも台風に耐えるためにこの形を選んだの」
「この葉は、下の葉に光をあてるために自分が穴だらけになったの」
「この幹は、伸びるために枝を切り落として捨てていくの」
「この実は、中に虫を住まわせていて、持ちつ持たれつ生きてるの」
怖かった植物たちは、あたりまえだけど、必死に工夫して生きていた。
他のために体を削り、他があって成り立ち、朽ちて他の養分となる。
森。河。スコール。水没した携帯。巨大なおにぎり。トカゲのしっぽ。
海。干潟。蟹の巣穴。サンゴ。素潜り。ウミガメ。潮の満ち引き。
自分の農園、灯りの無い道。虫の声、潮の音、星、風、ハンモック。
オリオンビール、小さなわたしたち、交錯する、人生。
満潮と干潮の時刻、天候、体力、体調、ルート、相手の気持ち。
すべてに同時に、気を配る。
森も海も必死に生きているこの島で、
ayaさんは、必死に生きていた。
この島がayaさんを呼んでいて、
一体になって生きようと言ったんだと思う。
最終日は石垣に戻った。スナックのママが早朝海に飛び込み、
トライアスロン3種完走するのを見届けて飛行機に乗った。
煩わしい現実から逃れるすべは、
世界の果てまで行ったって存在しないけど、
人間は心豊かに、生きられるんだよ。とこの島々は言った。
「なるべく早く戻ってこいよ~。
ま、時間が空いてもこっちはずっと待ってるからさ~」
と、空港でおじちゃんが、言った。
(ウェブアルバム flickr 【Iriomote,2012】 )
April 17, 2012
ばあちゃんfacebookデビュー
こちらのブログのコメント欄、拍手コメント、
facebookなどで祖母に対する誕生日の祝辞を
たくさんいただきまして本当にありがとうございました。
特にfacebookでは100件に上る「イイネ!」
をいただきまして、本人に報告しました。
うちのばあちゃんは非常に頭が冴えているので、
さすがにパソコンやネットは使用しませんが、
新しい時代についてくることに抵抗がない
不思議な老人です。
昨日、facebookの概念を説明してみたところ、
コンセプトは理解したようで
「そういうのあると世界が広がるわネー。
私は狭いところでウジウジしているだけなのにネー」
と羨ましがったり卑屈になったりしていました。
祝辞が100件きたことについては
「皆さん暇なのかしら」
と喜んでいました。
また「それは国内だけなの?」と聞いてきたので
海外の友達も観ることができる、というと
「私、若い頃から割と国際的だったのよネー」
と言って愛読書の地図帳を読みふけっていました。
ポツリと、中国人三人の名前を呟いたので、誰かと問うと、
10歳の頃に台湾からの留学生のホームステイを
受け入れて一緒に暮らしていたという事実などが
明らかになりました。
まだまだ謎が多い人です。
いつも写真のようにして、見送ってくれます。
背が低いので顔が全部は見えませんけども。
本人いわく「隠れてるの。」らしいです。
facebookなどで祖母に対する誕生日の祝辞を
たくさんいただきまして本当にありがとうございました。
特にfacebookでは100件に上る「イイネ!」
をいただきまして、本人に報告しました。
うちのばあちゃんは非常に頭が冴えているので、
さすがにパソコンやネットは使用しませんが、
新しい時代についてくることに抵抗がない
不思議な老人です。
昨日、facebookの概念を説明してみたところ、
コンセプトは理解したようで
「そういうのあると世界が広がるわネー。
私は狭いところでウジウジしているだけなのにネー」
と羨ましがったり卑屈になったりしていました。
祝辞が100件きたことについては
「皆さん暇なのかしら」
と喜んでいました。
また「それは国内だけなの?」と聞いてきたので
海外の友達も観ることができる、というと
「私、若い頃から割と国際的だったのよネー」
と言って愛読書の地図帳を読みふけっていました。
ポツリと、中国人三人の名前を呟いたので、誰かと問うと、
10歳の頃に台湾からの留学生のホームステイを
受け入れて一緒に暮らしていたという事実などが
明らかになりました。
まだまだ謎が多い人です。
いつも写真のようにして、見送ってくれます。
背が低いので顔が全部は見えませんけども。
本人いわく「隠れてるの。」らしいです。
April 12, 2012
ピノッキオ無事終幕
満開の桜の中、東京公演は大盛況となりました。
来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。
一度にとったように見えますが、この二枚の写真。
上の写真は、
昨年の3月11日15時半頃の豊島公会堂のステージ。
下の写真は、
今年の4月8日の同じ場所です。
舞台を使ってもらえることに、これほど感謝したことはない。
やはり
公演をする、幕があがるというのは
一回ずつが物凄くなし得難い、奇蹟なのだと思います。
あの瞬間にあの場所を共有してくれた、出演者の子供たちと
スタッフの皆さんと、何百人のお客さまに感謝。
その人たちを迎えて怪我のないよう見守り、味方についてくれた
劇場の神様に感謝です。