March 2014

March 27, 2014

海へ行ってきた

海が、春の顔になった。

冬の日本海って、波が高すぎて近づけないのだけど
春になって、気温が上がってくるにつれて、
海が日増しに凪いで来るのが毎年ふしぎ。


今日は絶好のドライブ日和だったので、山菜を探しがてら、
少し走って聖籠町の次第浜へ行ってきました。

ここらへんはうちの前の海と違って、テトラポットがないので
解放感にあふれているんだよなあ。


うみ

 
 
色調はちょっとイジりましたけど。

実際はもっとドスのきいた緑色なんですね。 


そういえば先週、東京で疲れた高校の同級生から
「日本海見たいよう」というメールがあったのを思い出し、


元気になれよという願いをこめて、写真を送ったのでした。 


海のそばで育った新潟高校生は、健やかなるときも病めるときも、
特に病めるとき、とりわけ泣けるときと怒れるときには、


本能的に海を見たくなることになっています。
 

やかんを買いました

もうストーブ要らなそう。レッグウォーマーも着けなくなりました。

今日からお掃除、お洗濯weekに入ります。
冬物のお布団やら、じゅうたんやらをランドリーで洗濯するのです。
(うちの洗濯機は二層式で小さいので、じゅうたん洗えない)

今年の冬は楽勝だったな。全然寒かった記憶がない。
雪がほとんど積もりませんでしたので
雪掻き、2回しかしなかったもんね。
 
毎年こんなだとありがたいなあ~~ 


春なので、やかんを新調しました。

赤いのです。

やかん

そして、またリフォームを始めることに。

畳の居間のフローリング化、
玄関外壁と台所の漆喰+タイル化に続く、
次なるお洒落リフォーム計画は「居間の障子の北欧化」です。
今日はこれから材料の調達です。

これだけ好きに改装しまくっていい家があるって最高に幸せだ。
丁寧な作業を心がけます。


あ、でも浴槽の水漏れが先週から酷くなったんだった。
タイルの目地埋めが先かな、今日は…。
 

March 25, 2014

春ですね

父からホワイトデーのお返しで、
麒麟山仕込みの梅酒いただいた。


美味い!!!

image



年々、自家製梅酒も消費が追いつかなくて
ストックが増えていく。

6月にはまた今年の分を
漬けなければならないし

1年が経つ早さを、毎年梅酒で実感しています。


春だなあ。

March 18, 2014

被災地ツアー参加者の声をまとめました。

さて、またしても先日のツアーレポートに、多くの反応をいただき
ありがとうございました。

今回の私の旅のテーマは「繋がる、拡げる」だったので、
私の舌足らずな感想だけでなく、いくつになっても行動力があって多感な、
私の自慢の友人たちの感じたことをシェアしていきたいと思います。

ということをサッサとやろうとしていたんだけど、なんだか忙くて遅れました。
東北から戻って早10日が過ぎようとしている。早いです。
てか、ちょっと忙しい週に無理やり3連休をとった仕返しなのか、
休みが少ない。月の後半が忙しくなってしまいました。自業自得。

ではさっそく感想をご紹介します。
みなさん快く、掲載のご許可を下さいました。
大感謝!

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新潟高校同級生代表、田辺彩子さんの感想

>>>

3月7日(金)~9日(日)、宮城へ行ってきました。石巻、女川、気仙沼へ。

高校の同級生ナナコが企画してくれた、被災地ツアー。

あの日からもう3年。
でもまだまだ復興には程遠い現実を目の当たりにしました。


気仙沼の小泉地区で小泉自然楽校にお世話になりましたが、
案内をしてくださった阿部さんの言葉が印象的でした。

「"防災"には限界がある。防ぐことは難しいから、"減災"という考え方を。」

地震や津波を防ぐことはできないから、
じゃあ、災害が起こった時に被災を少なくするには今どうしたらいいか。
それを考えさせられる貴重な時間を過ごしました。

女川中学校には、いのちの石碑がありました。
ここまで津波がきたから、大きな地震が来たらここより上に逃げて、と。
震災当時、中学入学直前だった彼らは今年卒業。その3年生がこの石碑を贈ったそうです。

ナナコのご縁があって私も卒業式に参列させてもらいました。
中学生という多感な時期にこの3年を過ごした彼らが、
この石碑を贈るためにいろいろ考えて動いたんだろうなと思うと、
来てほしくないけど万が一また災害が起こってしまった時には、
同じ被害を出さないように、被災された方も、
私のように知る機会を与えられた者も含めて
生き残った者が語り継がなければいけないと強く感じました。

前述の小泉自然楽校で、仮説住宅老人クラブのおばあちゃま達の
ワカメ三昧料理教室にも参加しました。

炊事場は外だったので水道管が凍って水が出ず(!)、湧水などなどでお料理。
ワカメ料理を教えてもらい、いろんな話をしました。嫁姑問題とかね笑。
とにかく笑顔が素敵なおばあちゃま達でした。

私、行く前は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえたらいいなぁって
思っていたのですが、ちょっと驕りがあったようですね。

笑顔をもらったのは私の方で、被災地に何かしてあげたいなんて、
思い上がりでした。被災者に会いに行く、ではなく、
笑顔が素敵なあのおばあちゃま達だから、また会いに行きたいです。

あぁ、私の語彙力が乏しいためにうまく伝えられないのがもどかしい。
毎日を当たり前に過ごせることに感謝しつつ、近いうちにまた行きたいと思います。

現在の様子を何枚か撮りました。
震災直後ではない「今」を見て、何か感じることがあれば嬉しいです。
誰かの何かのきっかけになりますように。

>>>

写真23

写真26

写真24

写真25

(facebook投稿より写真借用。ブログ用に改行のみナナコ)


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下北沢小劇場時代の戦友代表、木村健太さんの感想

>>>

遅ればせながら、8日、9日の土日に、気仙沼市本吉町に行ってきました。
東日本大震災から、明日で丸三年。
前職での戦友、ナナ子コーディネートのツアーで被災地を見てきました。

心のどこかで、
「もう3年もたってるんだから、被災の状況はそんなには見れないのかな」
なんて思ってました。

とんでもない!!
そこには、震災以降、テレビで何度も見た光景が、今もなお広がっていました。

街や家があったらしいところの、ガレキの撤去は大体はおわっているものの、
更地だけ。
津波で流された電柱は復旧して、信号はあるけど、街灯はなくそれだけ。夜は真っ暗。
ガードレールはグニャグニャだし、橋の手すりは折れたまんま。
駅だったところは、そこが「駅」と言われないとわからないくらいのガレキの山。
そこから斜面を見下ろすと、不自然に横たわっている赤さびた線路。
海岸にいると、立っているところは昔は田んぼがあって、家があるところだった。
津波のせいで、海岸が200m陸にせり出してきたんだって。

本当にものすごい状況が、未だにそのまま残ってました。

それでも、そこに住んでいる人たちがいて、
未来を見据えている人たちがいる。

この大災害を経験して、私たちができることを伝えようとしている。

たくさんたくさん、大事なことを学びました。
いろんなことを、見ることができ、聞くことができました。

上手く一度にまとめることができないから、
少しずつ皆さんにはご紹介していきたいと思います。

そして、少しでも興味を持ったら、
遠慮せずに、ぜひ現地に行ってみてください。

実際に何が起こっているのか、起こっていないのか、
「真実」ではなく、「事実」を見てください。

まだまだ遅くはないよ。
まだまだできることはたくさんあるよ。

本当に貴重な2日間の体験でした。

>>>

写真27

写真28

(facebook投稿より写真借用。)

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音楽仲間 Toyoshige Sakashitaさんの感想

>>>

石巻~気仙沼。

3月7~8日、二日間。石巻、気仙沼を訪れました。

石巻は震災後、何度か来てるけど、気仙沼は初めて。
3年前の3月11日、未曾有の大震災。そして津波がこの地を襲いました。

・・その節目だから。と 思ってたわけではありません。
ただ、「あのとき」が いったいどれほど寒かったのか。どれほど冷たかったのか。
どうしても一度体感して確かめてみたかったんです。

ちょうど仕事で3月の仙台出張が決まっていたので 帰りに行こうと思ってたら、
Facebookのお友達がちょうど同じタイミングでツアーの参加募集を
投稿されていたのが目にとまりました。
それで同行させていただくことにしたわけです。
語り部の方の説明が聞けてとてもよかった。
ほんとにほんとにお世話になりました。ありがとう。

そして一緒に参加された皆さん。

皆さんがいてくれたことがどれほど心強かったことか。助けられたことか。

ありがとう。

よーし。またぜったい行くぞーーーーー!!!

以下 その夜 手帳になぐり書きした 日記からの抜粋です。

・・・・・・・・・気仙沼にて

海の方からビュービュー吹く。

おそろしく冷たく強い風、絶え間なく。

寒い。寒い。

冷たい。冷たい。

重ね着トレーナー。綿入りブルゾン。
下はモモヒキ、ズボン、その上から借りた雨具のズボン。長靴。
こんだけの防寒装備が役に立たん。いや、きっと立ってくれてるんだろうけれども。
・・メモを取る両手がたちまちかじかんで真っ赤に腫れる。

ただ立っていることさえしんどい。

かつて家が建ってた場所は いま、なんもない。ほんとにほんとになんもない。

だから、だれもいない。ほんとだれも。

あるのは もの寂しいむき出しの地面。

どこまでも どこまでも見渡す限り地面地面地面。 

寒かったろうなあ

冷たかったろうなあ

痛かったろうなあ

悲しかったよなあ

つらかったよなあ

悔しくてせつなくてもうなにがなんだかわけわかんなくてさ

怖くて怖くてたまんなかったよなあ

鼻がツンとして涙出てきた。
あふれてあふれて流れてく。止まらない。

その涙を腕でごしごしふく。

こすれた頬と目の周りが風でヒリヒリ痛い。ほんと痛い。

涙がでてくる。止まらない。たまらない。せつなくてたまらない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

気仙沼の3月は、とてつもなく寒いです。

そんななか仮設住宅でいまだに暮らしているたくさんの人たち。
復興をしている地域。復興がまったくなされていない地域。
どう復興するのか具体的にまだなにも決まっていない地域。計画が白紙に戻った地域。

3年目の現実をみました。あそこは いまだに非常事態です。

写真、たくさんたくさん撮らせていただきました。
手を合わせて撮った場所もたくさん。

気持ちの整理ができたら 身近な人に見せて 伝えようと考えています。
 

>>>

**************

そして今回のツアーをコーディネートして下さった小泉自然楽校の
阿部さんから嬉しい投稿がありました。

もし、今後行かれるつもりの方は、私を通じてでもいいので
ぜひ阿部さんを頼るといいと思います。
やはり現地に繋がりがあるのと無いのとでは
得るものが全く異なってくると思いますので。

>>>

野生児女子と行く!東日本大震災伝え人語り部ツアー
無事に終了

(中略)

今回のように、
ご縁で繋がった出会いから始まる手作りの温もりが伝わる
笑顔と元気が出るツアー

何よりも、
地元の人達を大切にしてくれる

語り手の想いを理解してくれてる

語り部の持ち帰ってほしい事を真摯に向き合ってくれる

全然やりがいが違う

こじんまりだが、全然良い

また、気兼ねなく、
遊びに来てほしい

ナナ子
繋がりを広めてくれて
ありがとう
 

>>>

**************

そんな阿部さんの、今年3月11日の投稿を最後に紹介します。

>>>

2011・3・11-2014・3・11
三年間
大津波が来た宮城の海で、自分に出来るボランティア活動を地道に積み上げて来た

この日を忘れない
だけではない
いつまでも忘れない

三年前に小泉地区に入り、
活動をしていた時に、
高校生が撮影してくれた写真

心はいつもありがとう
宮城県気仙沼市本吉町小泉地区
笑顔で元気に成れる居場所づくりをと書いた

この想いだけで、
まっすぐに
ただひたすら本吉町の人達と一歩づつ前に進んだ

現地最前線にて、
一番思う事はただ一つ、
希望の光りになる、賑と灯の
創生である。

その為の、

二年目、
小泉自然楽校が出来て
減災体験、避難所の場を作り、災害時には私設避難所として機能させる
自然共生する居場所づくりを推進させ、
1万人近い人がこの小泉自然楽校に訪れてくれた。

三年目には、
本吉復興エコツーリズム推進協議会会長を、
旧本吉町最後の町長、森琢男氏に担って頂き、
一人でも多くの交流人口を本吉町に増やすべく復興エコツーリズムとして、
観光振興を推進して、一年で5000名近い人が本吉町に訪れてくれた。

2011・3・11
東日本大震災において、
多くの家族を失い、友を失い、善き人達を失った。

彼らは皆、
一人一人、夢があり、
希望を抱き、
日々があった。

残された者や、友や、家族を思い、祈るしか出来ない日々があった。

彼らを想い、記憶に刻もう。

決して忘れまい、人知れず尽くす者たちを、彼らに心から感謝を捧げたい。

しかし
生き残った者は、日々の刻の中で、日常に甘んじ、痛みを忘れ、
善と悪に心を引き裂かれてしまった者もいた。
その者に、我々の絆を滅ぼすだけでなく、人の絆を試し、人の誇りを冒涜しようとした。

信条や自由を侵そうとした。

ただ、
一つだけ贈り物を残した。

それは、
創生への希望だ。

我々は新たに立ち上がる。

前より強く団結して、今こそ我々の刻、
我々のチャンスだ。

善き心を取り戻し手本となる。
もう一度、人と人の絆を建て直すのだ。

いざ、参らん、
四年目
復興創生へと続く果てしなく険しい棘道へ

>>>

写真29
 
強く、前向きな、言葉です。



長々、読んで頂いてありがとうございました。

最後に、今回一緒に行けなかった友人からも、
「ナナコの記事があったおかげで、昨年の3月11日より今年の3月11日の方が
震災を身近に感じることができた」というメッセージをもらったことが、
自分としても意外な報告でした。

誰かの何かの役に立っているのかは確かめようがないけれども、
声を出すのって何かの始まりだと思っています。

今回感想を書いてくれた方々は、既に新しい繋がりが出来ていると思うし
5人がまた5人を呼び、5の5乗の5乗の5乗…ってなっていったらと思うとワクワクする。

一歩目が出れば、あとはわらしべ長者みたいに、
他の人とご縁でどんどん繋がっていくように出来ている。
人間の世の中っておもしろいね。


なんにせよここがスタート。

そういえば、自分たちも過酷な状況にいる女川の先生が、
「ナナコお前、ここに2回もくるんだったら福島いってやれよ。
あっちの方がずっと大変なんだぞ」
と当然のように他の地域の心配をしていたのが本当に印象的だったから、

今回出来たご縁を使って、次は福島に行きたいと思っているので
皆さんの持っているご縁と情報を、分けて頂けたら嬉しいです。

 
ひとまず、3月のツアーレポートをこれにて完結いたします。
読者の皆様、最後まで読んで下さって本当にありがとう。


今日はりゅーとぴあで大道具の仕事だーーい!! 


March 13, 2014

とうほぐツアーレポート(長いけどいいすか!)

震災から3年が経ちました。


先週末7,8,9日の2泊3日で、宮城県へ行ってきました。

写真 11



コースは色々なご縁で知り合いの出来た、宮城県の北の沿岸ツアー。

石巻市~女川町~南三陸町~本吉・小泉~気仙沼市
の強行ハシゴ日程。たくさんの地元の人たちに出逢う旅。

map20120329

※47NEWSさんサイトより画像を借用。リンクはこちら


今回は一人ではありません。 友達を5人、連れて行きました。

写真22



前回、お正月の本吉・小泉訪問で、「交流人口を増やしたい」
という地元の多くの声を聞いたこと、
また、遠くで勝手に想像しているより全然復興が遅い現実を
肉眼で確認するのが何より大切だと思ったこと、

それがきっかけで、

このブログやSNSを通じて、被災地に行くことに
興味がある人を募集したところ、新潟高校の同級生、小劇場仲間、
音楽仲間、ブログ読者など女性3名、男性2名が手を挙げてくれ、
新潟、東京、千葉から私を含めて6名の小編隊となりました。

連絡をくれて直前まで調整してくれた人が、実際にはその倍、いました。

「気になっているよ」というたくさんの声が聞けて良かったです。
自分で声に出すと、そこにちょびっとの覚悟と責任が生まれて
行動に繋がると思うので。


かけ足でご報告を。

(といっても軽く長距離になりますので、お時間のあるときに読んで下さい)


お天気に恵まれ、しかし東北沿岸部らしい、風の強い激サムの3日間。

やっぱり東北の沿岸部は寒さがヒトケタ違いますね。
初めての参加者には防寒具に加えてカッパを用意してもらいました。
この「防風対策」がかなり温かさを高めてくれるのです。


一日目は石巻市から。
地元のガイドさんを頼んで、町の様子、被害の状況、現在の課題を
教えてもらいながら、町を走りました。

心に残ったのは、人の気持ちや態度の話。
同じ町の中でも、被害が出た沿岸地域と、すぐ隣だけど無事だった
内陸地域では意識が全く違い、作業に手を貸そうとしないとか、
(無事だったご近所さんよりも、遠くからきたボランティアが必死になっているのは
何か違うんじゃないかと最近思い始めた、とベテランボランティアさんが言っていた)

居住不能と定められ、国が買い上げると決まった土地と、
道路一本隔てて
居住可能と指定され、流された家のローンもあるのに
自立再建しか選択肢がない土地。

それぞれの問題点と、再建が進まない理由。

家族の気持ちのすれ違い。

話しづらいことであったでしょうに、私たちのためにご自分の心境まで
お話下さいました。名ガイド中井さん、本当に感謝です。

「東日本大震災を風化させない活動推進センター」のサイトはこちら



夕方、そもそも私が東北にくるきっかけになった、昨年8月の
女川中学校での仕事でお世話になった女川中学校の先生のお宅へ。

沿岸に近かった先生のお宅は津波で流され、新築移転されていました。
お宅に伺って初めて、先生のいつも見せて下さる笑顔の下に、
量り知れないほどの悲しみを抱えていらっしゃることを知ってしまい
言いようのない、何か、が溢れそうになりましたが、

それを敢えて、わたしに見せて下さった先生には、
一緒に笑う事で、繋がり続けることで、感謝を伝えようと思います。


この日は酒盛り。他の先生たちもみんな来て、翌日が卒業式だというのに
大変豪快な飲みっぷりでいらっしゃいました。東北人、つよい。

女川のせんせ方、だいすき。ありがとう。

家庭科の先生(入道さまみたいな先生!)がわかめ、めかぶ、ふのり、
めかじきなど、地場産の美味しい海の食材で御馳走作ってくれました!

うまいんだ、これがマジ。

8月7日のブログ記事「女川公演レポート」はこちら



その日は女川の、土木関係者さんが使う宿泊施設に泊めて頂き
日の出を拝み、早朝に出発。女川原発を遠くから眺めた後、

女川中学校の卒業式に参列!

この日の卒業生たちは震災直後に入学した子たち。
体育館が被災し、図書室で、私服で、入学式を行ったそう。

被害のあった第一中、第二中を統合して一つになった「女川中学校」の、
記念すべき、開校第一回目の卒業式だったのです。

写真 12


穏やかな海への祈りと果てしない若さと希望を歌った校歌に涙し
震災を超えて強く逞しく、感謝を絶やさない卒業生の答辞に涙し

つつがなく式が終わって、先生が閉会宣言を告げたその時、
卒業生の中から「ちょっと待ったァーー!!」の声が。
声の主は、意外なことに答辞を読んだ優等生そうなカレ。

なんと、これまでお世話になった先生方へむけて、自分たちで用意した曲を大合唱。
歌ううちに自然と肩を組み、生徒同士で肩車。在校生も派手な手拍子で盛り上げ、
先生とご両親を号泣させる、最高に素晴らしい卒業式でした。
 
この子たちは、きっと震災で強く生まれ変わった子どもたちなのです。
そして「この子たちがいたから頑張れた」と話すご家族、
自身も被災しながら彼らを導き支え続けた先生がたの、
強くて美しい姿を目撃することができました。

彼らの行く手に幸あれと心から祈ります。

そして私を初めて女川に連れて来てくれ、誰よりもここを愛している
Yさんと皆さんに心からの尊敬を。ご一緒できて嬉しかった。


女川中学校のサイトはこちら。堅苦しくなくてとても温かいサイト



それから車を駆って、一路南三陸へ。

途中、南三陸さんさん商店街で「春告げ丼」を食す!ぎゃ~~うまい!

写真16

南三陸キラキラ丼シリーズについての情報はこちら!食べにいく価値あり! 


そして現地コーディネーターの阿部さんに再会。

小泉に宿泊している他のスタッフさんたちと一緒に、ガイドしてもらいながら、
減災講和を聞きました。

写真 9

前回と同様に、真摯で、熱い阿部さんのお話。

2回目だった私が一番驚いたのは、その「鮮度」。
だってこの人は、毎日ここへきて、同じ話を私たちにするわけですよね。
ちょっと飽きたり、なおざりになっても仕方ないと思うんです。
(実際、わたし今回そういう風に感じさせるガイドさんを目にしましたし)

しかし、阿部さんは相変わらず全力で、ルーティンっぽさ、日常っぽさを
ちっとも感じさせない。

毎日新しい気持ちで、この現状を伝えなければと考えている証拠。
そして、阿部さんやここの住民は、決して日常を取り戻してはいない証拠です。

感謝。


震災の話にとどまらず、現状を生んでいる行政の話、住民感情の話、
様々聞いているうちに辺りは真っ暗になり、夕ご飯。
みんなで気仙沼ホルモン鍋を食べてこの日は終了。

自身も被災し仮設から通勤する正義のホテルマン・渡邊さんの計らいで
お部屋をとっていただいた、「南三陸ホテル 観洋」さんへ移動。

渡邊さん、ありがとう!夜のお風呂から見るカモメ、蛍かと思った。綺麗だった~
これからのご活躍、心から応援するとともに、なんかあったら手伝いますから。

絶景風呂がお勧め!ホテル観洋サイト


夜更けまで、感想を語り合ったり、意見を交換したり、
全然関係ない話で大盛り上がりしたり、新潟の酒を開けたりして、
愉しみました。やっぱり大勢で来るって、最高だ。


翌朝は早くから、他のボランティア団体などと合流して、
津波記憶石前で講話をきいたあと、仮設住宅訪問、海岸清掃、献花式。

写真 2


メモリアルデー直前の週末だったので、様々な団体が入っています。

かつてサーファーたちの聖地、小泉海岸では、サーファー団体に混ざって
海岸清掃。イケイケのお兄さんたちが一生懸命、鉄くずやボロキレを拾う
姿はカッコ良かったです。ここの海を愛しているのですね。

写真 3


写真に見えるツブツブは、ほとんどが大型の貝の殻であります。
おそらく、津波で海底の泥が巻きあがって、普段浜辺では見ないであろう
沖の海底に住む貝たちが、みんなここまできちゃったんだろうな。

この海岸線、地殻変動で200Mも内陸にずれてしまったのです。
上の写真に見えている海水の部分は、ほとんど全部、陸地だったというので
驚きです。そしてその海底となった土地に地権者がいるのだということも。

写真17
※小泉海岸にたたずむシーサイドパレス。取り壊しが決まったそう。


献花式に出た後、小泉自然楽校へ移動し、老人クラブの美女4名と、
三陸わかめづくしのお料理教室を開催。

そして、またもや自然楽校名物、「水道凍結」の洗礼を受け、
湧水とバケツと柄杓を駆使しての、白熱のキッチンスタジアム。

今回のメンバーは男子も女子も、サバイバル力が高かったですね。
屋外である、水が出ない、時間がないという逆境を当然かのように
さらりと受け入れて作業にあたってくれました。あなたがた、凄いよ!

女子力発揮しつつサバイバル力も出してくるあたりが…
新潟高校生女子なら当然か。あなどるべからず、だったね!!

写真21

美女先生方は、厳しい。特に、ニックネーム「校長先生」は厳しい。
お皿の選び方一つでも、拘りがあり、「あなたのやりかたと、わたしの
やりかたは、違うの。わたしの方を、教えてあげるから、覚えなさい!」
と言って、せっかく出したお皿、全部却下。うーん、まだまだだ、わたし。

そして試合終了。ランチとなりました。

三陸産のわかめは、3月が旬。

わかめ汁、くきわかめのおしんこ、めかぶとろろ、わかめとおいもの炊き上げ、
わかめサラダ2種。美味しい~~美味しい~~こんなにプリップリのわかめ、
見たことも噛んだこともないぞ!!!三陸わかめ、おそるべし~~

写真 4
 
わたしが土産で持って行った新潟の柿の種(梅味)を喜ぶ美女たち。
わたしはわかめの魅力に取り憑かれて、あたまにわかめを載せています。

写真20


 その後婦人会の美女2名が合流して、涙が出るほど爆笑のティータイム。
「旦那のお義母さんに何をプレゼントすると効果的か」という話について
実に実利的な、様々のアドバイスを頂きました。爆笑の嵐。

写真 5
※小泉地区老人クラブのみなさんと。(ご本人たち曰く、「モデルクラブ」。)

美女たちと話していると、震災の話はひとっつも出ない。
心の中は分からないけど、このおばあちゃんたちは、私たちと一緒にいる
時間をめいっぱい楽しもうと、わたしたちを全力でもてなそうと、
きっと頑張って笑っている。私たちが愉しむ顔を見ることで、自分も元気に
なろうとしている。だから余計なことは考えず、めいっぱい、笑いました。

おばあちゃん、本当に楽しかったね。ありがとう。
また、笑いに来るね。
今日もおばあちゃんたちが、笑顔でいますようにと、祈らずにはいられない。

おばあちゃん、斎藤盛さん、美味しいご飯と素敵なお話、ありがとう。
あといつもながら楽校の面倒見て下さる及川家のみなさん、お世話になりました。

毎度おなじみ小泉自然楽校のサイトはこちら


出発前の2時46分、小泉中学校仮設住宅周辺の皆さんと一緒に、
集会所での黙祷・献花式に出席させて頂きました。

海を望むその集会所ではお経があげられ、この地に住む人たちが、
鎮魂と海の平穏を祈り、復興への誓いを新たにしていたのだと思います。

海は凪いで、青空が広がり、穏やかな日でした。


そして私たちは阿部さんに別れを告げ、東北から、出発しました。
今回は、また来るっていう確信めいたものがありました。
他のメンバーはどうだったかな。

小泉に宿泊していた行動派メンバーちあきちゃん、個性派れおくん、
そして地元でがんばるのっつ君、あと~名前がわかんなくなったけどメガネ君(ごめん!)、
ご一緒させてくれてありがとう。また東北で会えることを願います。

阿部さん、忙しい日程のときに面倒かけましたが素晴らしい内容の
アクティビティ計画でした。ありがとうございました。また来ます。

仙台へみんなを送る車中、またいろんな話をして、
本当にメンバーに恵まれた、素晴らしいグループで旅をすることができました。
A子、A美、K太、S下さん、M絵さん、本当にありがとう。
皆さんと旅が出来て、いっぱい新しい発見ができました。

初めて東北に行く人に、いろんなものを見せてあげるぞ!
なんて思っていたけどおこがましかったですね。
皆さんからももらったし、「2回目いく」という行為が
また全然違うものだって分かりました。

本当の交流は、ここからなんだ。


行くたびに自分は無力だと思い知る。
わたしには体験談をブログに書く、くらいしかできない、いまんとこ。

でも実際、私がブログに書いただけで、5人が東北に足を運んでくれた。
もっと大きい数の人たちが、興味を持ってくれました。

それって小さいけれど、わたしの目指した「拡げて、繋がる」
なんじゃないかって思います。


今回の記事はお気づきの通り、ほとんど「人」についてのレポートのみです。


現状の景色や問題点の詳細を、ここに書いてもさ。

荒涼とした更地、ダンプの交通量、片付く気配の無いガレキ、廃墟、鉄の山とか

他人の目で見た景色の描写って、文字で読んでも入ってこなくないですか?
そしてもし頑張って想像しても、現実は決して同じではないと思います。
写真や映像を見たとしても、そこに立って空気を吸わなければ、違う。

私がそうなのです。
現在もまだ自分が訪れていない地域については、私には何にも見えてない。

だから風景の描写は今回しないので、できれば、肉眼で確認してもらえたら嬉しい。
それとか、ニュースやネットでたくさん、写真や情報は日々出ているので、
ここをきっかけに興味を持って色々検索してくれたら素晴らしいし、
みなさんの知り得たことをまた私にぜひ、フィードバックしてほしいと思います。


次回はご許可を得て、参加者の皆さんの感想を紹介します。


女川の先生からもらった、石巻の酒をのみながら
ちびちびと3日もかけて大切に、この文章書いたナナコでした。

読んで下さった皆様に、感謝です。

写真15

M先生、ありがとう。また、お酒、飲みにいくね。



【ひとまず、おわり。】 

::::最近のコメ::::