March 18, 2014

被災地ツアー参加者の声をまとめました。

さて、またしても先日のツアーレポートに、多くの反応をいただき
ありがとうございました。

今回の私の旅のテーマは「繋がる、拡げる」だったので、
私の舌足らずな感想だけでなく、いくつになっても行動力があって多感な、
私の自慢の友人たちの感じたことをシェアしていきたいと思います。

ということをサッサとやろうとしていたんだけど、なんだか忙くて遅れました。
東北から戻って早10日が過ぎようとしている。早いです。
てか、ちょっと忙しい週に無理やり3連休をとった仕返しなのか、
休みが少ない。月の後半が忙しくなってしまいました。自業自得。

ではさっそく感想をご紹介します。
みなさん快く、掲載のご許可を下さいました。
大感謝!

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新潟高校同級生代表、田辺彩子さんの感想

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3月7日(金)~9日(日)、宮城へ行ってきました。石巻、女川、気仙沼へ。

高校の同級生ナナコが企画してくれた、被災地ツアー。

あの日からもう3年。
でもまだまだ復興には程遠い現実を目の当たりにしました。


気仙沼の小泉地区で小泉自然楽校にお世話になりましたが、
案内をしてくださった阿部さんの言葉が印象的でした。

「"防災"には限界がある。防ぐことは難しいから、"減災"という考え方を。」

地震や津波を防ぐことはできないから、
じゃあ、災害が起こった時に被災を少なくするには今どうしたらいいか。
それを考えさせられる貴重な時間を過ごしました。

女川中学校には、いのちの石碑がありました。
ここまで津波がきたから、大きな地震が来たらここより上に逃げて、と。
震災当時、中学入学直前だった彼らは今年卒業。その3年生がこの石碑を贈ったそうです。

ナナコのご縁があって私も卒業式に参列させてもらいました。
中学生という多感な時期にこの3年を過ごした彼らが、
この石碑を贈るためにいろいろ考えて動いたんだろうなと思うと、
来てほしくないけど万が一また災害が起こってしまった時には、
同じ被害を出さないように、被災された方も、
私のように知る機会を与えられた者も含めて
生き残った者が語り継がなければいけないと強く感じました。

前述の小泉自然楽校で、仮説住宅老人クラブのおばあちゃま達の
ワカメ三昧料理教室にも参加しました。

炊事場は外だったので水道管が凍って水が出ず(!)、湧水などなどでお料理。
ワカメ料理を教えてもらい、いろんな話をしました。嫁姑問題とかね笑。
とにかく笑顔が素敵なおばあちゃま達でした。

私、行く前は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえたらいいなぁって
思っていたのですが、ちょっと驕りがあったようですね。

笑顔をもらったのは私の方で、被災地に何かしてあげたいなんて、
思い上がりでした。被災者に会いに行く、ではなく、
笑顔が素敵なあのおばあちゃま達だから、また会いに行きたいです。

あぁ、私の語彙力が乏しいためにうまく伝えられないのがもどかしい。
毎日を当たり前に過ごせることに感謝しつつ、近いうちにまた行きたいと思います。

現在の様子を何枚か撮りました。
震災直後ではない「今」を見て、何か感じることがあれば嬉しいです。
誰かの何かのきっかけになりますように。

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写真23

写真26

写真24

写真25

(facebook投稿より写真借用。ブログ用に改行のみナナコ)


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下北沢小劇場時代の戦友代表、木村健太さんの感想

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遅ればせながら、8日、9日の土日に、気仙沼市本吉町に行ってきました。
東日本大震災から、明日で丸三年。
前職での戦友、ナナ子コーディネートのツアーで被災地を見てきました。

心のどこかで、
「もう3年もたってるんだから、被災の状況はそんなには見れないのかな」
なんて思ってました。

とんでもない!!
そこには、震災以降、テレビで何度も見た光景が、今もなお広がっていました。

街や家があったらしいところの、ガレキの撤去は大体はおわっているものの、
更地だけ。
津波で流された電柱は復旧して、信号はあるけど、街灯はなくそれだけ。夜は真っ暗。
ガードレールはグニャグニャだし、橋の手すりは折れたまんま。
駅だったところは、そこが「駅」と言われないとわからないくらいのガレキの山。
そこから斜面を見下ろすと、不自然に横たわっている赤さびた線路。
海岸にいると、立っているところは昔は田んぼがあって、家があるところだった。
津波のせいで、海岸が200m陸にせり出してきたんだって。

本当にものすごい状況が、未だにそのまま残ってました。

それでも、そこに住んでいる人たちがいて、
未来を見据えている人たちがいる。

この大災害を経験して、私たちができることを伝えようとしている。

たくさんたくさん、大事なことを学びました。
いろんなことを、見ることができ、聞くことができました。

上手く一度にまとめることができないから、
少しずつ皆さんにはご紹介していきたいと思います。

そして、少しでも興味を持ったら、
遠慮せずに、ぜひ現地に行ってみてください。

実際に何が起こっているのか、起こっていないのか、
「真実」ではなく、「事実」を見てください。

まだまだ遅くはないよ。
まだまだできることはたくさんあるよ。

本当に貴重な2日間の体験でした。

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写真27

写真28

(facebook投稿より写真借用。)

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音楽仲間 Toyoshige Sakashitaさんの感想

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石巻~気仙沼。

3月7~8日、二日間。石巻、気仙沼を訪れました。

石巻は震災後、何度か来てるけど、気仙沼は初めて。
3年前の3月11日、未曾有の大震災。そして津波がこの地を襲いました。

・・その節目だから。と 思ってたわけではありません。
ただ、「あのとき」が いったいどれほど寒かったのか。どれほど冷たかったのか。
どうしても一度体感して確かめてみたかったんです。

ちょうど仕事で3月の仙台出張が決まっていたので 帰りに行こうと思ってたら、
Facebookのお友達がちょうど同じタイミングでツアーの参加募集を
投稿されていたのが目にとまりました。
それで同行させていただくことにしたわけです。
語り部の方の説明が聞けてとてもよかった。
ほんとにほんとにお世話になりました。ありがとう。

そして一緒に参加された皆さん。

皆さんがいてくれたことがどれほど心強かったことか。助けられたことか。

ありがとう。

よーし。またぜったい行くぞーーーーー!!!

以下 その夜 手帳になぐり書きした 日記からの抜粋です。

・・・・・・・・・気仙沼にて

海の方からビュービュー吹く。

おそろしく冷たく強い風、絶え間なく。

寒い。寒い。

冷たい。冷たい。

重ね着トレーナー。綿入りブルゾン。
下はモモヒキ、ズボン、その上から借りた雨具のズボン。長靴。
こんだけの防寒装備が役に立たん。いや、きっと立ってくれてるんだろうけれども。
・・メモを取る両手がたちまちかじかんで真っ赤に腫れる。

ただ立っていることさえしんどい。

かつて家が建ってた場所は いま、なんもない。ほんとにほんとになんもない。

だから、だれもいない。ほんとだれも。

あるのは もの寂しいむき出しの地面。

どこまでも どこまでも見渡す限り地面地面地面。 

寒かったろうなあ

冷たかったろうなあ

痛かったろうなあ

悲しかったよなあ

つらかったよなあ

悔しくてせつなくてもうなにがなんだかわけわかんなくてさ

怖くて怖くてたまんなかったよなあ

鼻がツンとして涙出てきた。
あふれてあふれて流れてく。止まらない。

その涙を腕でごしごしふく。

こすれた頬と目の周りが風でヒリヒリ痛い。ほんと痛い。

涙がでてくる。止まらない。たまらない。せつなくてたまらない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

気仙沼の3月は、とてつもなく寒いです。

そんななか仮設住宅でいまだに暮らしているたくさんの人たち。
復興をしている地域。復興がまったくなされていない地域。
どう復興するのか具体的にまだなにも決まっていない地域。計画が白紙に戻った地域。

3年目の現実をみました。あそこは いまだに非常事態です。

写真、たくさんたくさん撮らせていただきました。
手を合わせて撮った場所もたくさん。

気持ちの整理ができたら 身近な人に見せて 伝えようと考えています。
 

>>>

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そして今回のツアーをコーディネートして下さった小泉自然楽校の
阿部さんから嬉しい投稿がありました。

もし、今後行かれるつもりの方は、私を通じてでもいいので
ぜひ阿部さんを頼るといいと思います。
やはり現地に繋がりがあるのと無いのとでは
得るものが全く異なってくると思いますので。

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野生児女子と行く!東日本大震災伝え人語り部ツアー
無事に終了

(中略)

今回のように、
ご縁で繋がった出会いから始まる手作りの温もりが伝わる
笑顔と元気が出るツアー

何よりも、
地元の人達を大切にしてくれる

語り手の想いを理解してくれてる

語り部の持ち帰ってほしい事を真摯に向き合ってくれる

全然やりがいが違う

こじんまりだが、全然良い

また、気兼ねなく、
遊びに来てほしい

ナナ子
繋がりを広めてくれて
ありがとう
 

>>>

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そんな阿部さんの、今年3月11日の投稿を最後に紹介します。

>>>

2011・3・11-2014・3・11
三年間
大津波が来た宮城の海で、自分に出来るボランティア活動を地道に積み上げて来た

この日を忘れない
だけではない
いつまでも忘れない

三年前に小泉地区に入り、
活動をしていた時に、
高校生が撮影してくれた写真

心はいつもありがとう
宮城県気仙沼市本吉町小泉地区
笑顔で元気に成れる居場所づくりをと書いた

この想いだけで、
まっすぐに
ただひたすら本吉町の人達と一歩づつ前に進んだ

現地最前線にて、
一番思う事はただ一つ、
希望の光りになる、賑と灯の
創生である。

その為の、

二年目、
小泉自然楽校が出来て
減災体験、避難所の場を作り、災害時には私設避難所として機能させる
自然共生する居場所づくりを推進させ、
1万人近い人がこの小泉自然楽校に訪れてくれた。

三年目には、
本吉復興エコツーリズム推進協議会会長を、
旧本吉町最後の町長、森琢男氏に担って頂き、
一人でも多くの交流人口を本吉町に増やすべく復興エコツーリズムとして、
観光振興を推進して、一年で5000名近い人が本吉町に訪れてくれた。

2011・3・11
東日本大震災において、
多くの家族を失い、友を失い、善き人達を失った。

彼らは皆、
一人一人、夢があり、
希望を抱き、
日々があった。

残された者や、友や、家族を思い、祈るしか出来ない日々があった。

彼らを想い、記憶に刻もう。

決して忘れまい、人知れず尽くす者たちを、彼らに心から感謝を捧げたい。

しかし
生き残った者は、日々の刻の中で、日常に甘んじ、痛みを忘れ、
善と悪に心を引き裂かれてしまった者もいた。
その者に、我々の絆を滅ぼすだけでなく、人の絆を試し、人の誇りを冒涜しようとした。

信条や自由を侵そうとした。

ただ、
一つだけ贈り物を残した。

それは、
創生への希望だ。

我々は新たに立ち上がる。

前より強く団結して、今こそ我々の刻、
我々のチャンスだ。

善き心を取り戻し手本となる。
もう一度、人と人の絆を建て直すのだ。

いざ、参らん、
四年目
復興創生へと続く果てしなく険しい棘道へ

>>>

写真29
 
強く、前向きな、言葉です。



長々、読んで頂いてありがとうございました。

最後に、今回一緒に行けなかった友人からも、
「ナナコの記事があったおかげで、昨年の3月11日より今年の3月11日の方が
震災を身近に感じることができた」というメッセージをもらったことが、
自分としても意外な報告でした。

誰かの何かの役に立っているのかは確かめようがないけれども、
声を出すのって何かの始まりだと思っています。

今回感想を書いてくれた方々は、既に新しい繋がりが出来ていると思うし
5人がまた5人を呼び、5の5乗の5乗の5乗…ってなっていったらと思うとワクワクする。

一歩目が出れば、あとはわらしべ長者みたいに、
他の人とご縁でどんどん繋がっていくように出来ている。
人間の世の中っておもしろいね。


なんにせよここがスタート。

そういえば、自分たちも過酷な状況にいる女川の先生が、
「ナナコお前、ここに2回もくるんだったら福島いってやれよ。
あっちの方がずっと大変なんだぞ」
と当然のように他の地域の心配をしていたのが本当に印象的だったから、

今回出来たご縁を使って、次は福島に行きたいと思っているので
皆さんの持っているご縁と情報を、分けて頂けたら嬉しいです。

 
ひとまず、3月のツアーレポートをこれにて完結いたします。
読者の皆様、最後まで読んで下さって本当にありがとう。


今日はりゅーとぴあで大道具の仕事だーーい!! 


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