おしごとかんけい
July 16, 2023
大衆演劇の裏に入る
ブログに、苔が生えちゃった。
まだ閉鎖してません。
生きてます。すみません。
子が小学生になるのに合わせて
お仕事を退職し、晴れて無職に。
資格試験に本格的に挑戦中です。
(まだしばらく挑戦つづきそう)
久々に単発で舞台のお仕事をもらいました。
人生初の「大衆演劇」の裏です。
県民会館。これが度肝でした。
新潟には、古町演芸場という
大衆演劇の小屋があって
月替わりで劇団さんが入れ替わります。
週6日公演があって、昼夜2回、
大体2部構成で、
時代劇と舞踊ショーで3時間。
時代劇は毎回演目が違うんですよ。
週に12種類のお芝居をするわけ。
それだけでも凄いんですが、
さらに舞踊ショーという踊りパート。
派手な音楽をかけてジャンジャン踊る。
日本舞踊を多分みなさんやってるんだけど
カジュアルにピッピッと見栄を決めてくる
独特のスタイル。
こんな大衆演劇の今月の一座が
演芸場を飛び出してホールで
外部公演をやると言うので
手伝いに呼ばれた訳です。
初めて打ち合わせした2週間前。
舞台の内容も、運営面
とてーーーも大雑把にしか決まってない。
でも、やろうとしていることは
私からみたら非常に大掛かり。
(当時の失礼な心の声)
これ、
この直前期に
この程度しか決まってないのに、
こんだけの事できるわけなくない…?
私は普段アマチュア演劇とか
ミュージカルが多いです。だからはは
何ヶ月もかけて綿密に打ち合わせまくって
「自分たちが良いと思う完成系」に向けて
完成度をギリギリまで上げていくという
舞台の作り方。
それがこちらの目指すところは180度違って
「お客さんが喜ぶと思うステージ」
のために全力120%を瞬間的に出す。
(なぜ瞬間的かと言えば
直前まで別の内容の公演やってるから。)
その凄まじいスピードの判断に
ついてこられる頭と腕とハートを持った
熱い役者とスタッフの集団でした。
古き良き劇団文化を久々に見ました。
直前まで全力で踊っていた役者さんが
次のステージの舞台セットや楽器を
みんなで手伝ってくれる。
「自分の仕事はここまで」みたいな
線を引いたりしない。120%だから。
大道具さんと役者さんの信頼関係が
めちゃくちゃ強く、ある。
ちょっと話が抽象的なので
恐縮なんですが
ようするに、全然違う世界がまだまだ、
あるってことなんだ。
とても勉強になりました。
またご一緒させてもらいたい。
まだ閉鎖してません。
生きてます。すみません。
子が小学生になるのに合わせて
お仕事を退職し、晴れて無職に。
資格試験に本格的に挑戦中です。
(まだしばらく挑戦つづきそう)
久々に単発で舞台のお仕事をもらいました。
人生初の「大衆演劇」の裏です。
県民会館。これが度肝でした。
新潟には、古町演芸場という
大衆演劇の小屋があって
月替わりで劇団さんが入れ替わります。
週6日公演があって、昼夜2回、
大体2部構成で、
時代劇と舞踊ショーで3時間。
時代劇は毎回演目が違うんですよ。
週に12種類のお芝居をするわけ。
それだけでも凄いんですが、
さらに舞踊ショーという踊りパート。
派手な音楽をかけてジャンジャン踊る。
日本舞踊を多分みなさんやってるんだけど
カジュアルにピッピッと見栄を決めてくる
独特のスタイル。
こんな大衆演劇の今月の一座が
演芸場を飛び出してホールで
外部公演をやると言うので
手伝いに呼ばれた訳です。
初めて打ち合わせした2週間前。
舞台の内容も、運営面
とてーーーも大雑把にしか決まってない。
でも、やろうとしていることは
私からみたら非常に大掛かり。
(当時の失礼な心の声)
これ、
この直前期に
この程度しか決まってないのに、
こんだけの事できるわけなくない…?
私は普段アマチュア演劇とか
ミュージカルが多いです。だからはは
何ヶ月もかけて綿密に打ち合わせまくって
「自分たちが良いと思う完成系」に向けて
完成度をギリギリまで上げていくという
舞台の作り方。
それがこちらの目指すところは180度違って
「お客さんが喜ぶと思うステージ」
のために全力120%を瞬間的に出す。
(なぜ瞬間的かと言えば
直前まで別の内容の公演やってるから。)
その凄まじいスピードの判断に
ついてこられる頭と腕とハートを持った
熱い役者とスタッフの集団でした。
古き良き劇団文化を久々に見ました。
直前まで全力で踊っていた役者さんが
次のステージの舞台セットや楽器を
みんなで手伝ってくれる。
「自分の仕事はここまで」みたいな
線を引いたりしない。120%だから。
大道具さんと役者さんの信頼関係が
めちゃくちゃ強く、ある。
ちょっと話が抽象的なので
恐縮なんですが
ようするに、全然違う世界がまだまだ、
あるってことなんだ。
とても勉強になりました。
またご一緒させてもらいたい。
nanaibashi at 07:23|Permalink│Comments(2)
December 01, 2020
【総集編】マツコの知らないアマチュア舞台の世界
良かった。
もちろんお客さんを入れての公演をすること
みんなが、元気で、良かった。
昨年9月、
切迫早産状態で夢ひかりの魚沼公演。
それを最後に舞台の仕事はストップ。
安静指示~次女出産~コロナ禍。
でしたもので。
そして昨日、
実に1年2ヶ月ぶりの舞台仕込み。
もちろんお客さんを入れての公演をすること
全然手放しで喜べない状況下ではありますが
久しぶりの劇場仕込み。元気に仲間と再会。
幸せでした。その一言に尽きます。
(今回はただの手伝い要員にもかかわらず。)
今回はこれ!12月5、6日公演
東区市民劇団「みなとトンネルを抜けると」
公演情報はこちら。
さて、舞台人たちがもがいている今だからこそ
改めて私の関わった印象的な舞台公演を
自分のブログ記事の中から振り返ろうと思います。
お時間があれば、どうぞお付き合いください。
【略歴】
2010年、劇団四季を退団後
地元新潟で市民演劇、キッズ演劇を中心に活動しています。
2016年に転職後は塾講師&育児を本業としつつ
できる範囲で舞台活動を続けています。
以下、記事のタイトル(一部わかりやすく書き換え)から
該当の記事へリンクします。
2016年2月 試練の公演、モトシキ共演!
本番当日インフルエンザに倒れる東区市民劇団の劇団員たちと
ともに涙を流しながら戦った。
2013年9月 第8回 夢ひかり「かいじゅう島のボー」
2010年から舞台監督を務める魚沼市のキッズミュージカル。
子供たちの舞台魂に加え、父兄たちのド根性も紹介。
2013年8月 女川公演レポート
東日本大震災で被災した女川町で
中学校体育館遠征公演を行う若手劇団の
舞台監督として行った。
一緒に作業をして現地の子供たちの強さに出会った。
2013年5月 オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」再演
初めてのオペラの舞台監督。
楽譜を読む楽しさを知った。
2012年12月 「芸術」と「芸能」は違う!そしてイイ!
地元で照明の会社に入り、お稽古ごとの発表会としての
芸能祭の実態に触れる。こんな世界があったとは!
2012年12月 バレエ「くるみ割り人形」
舞台監督さんの勘違いにより、初めてに近いバレエ現場で
重要転換を任されてしまう。
チャイコフスキーの理想に思いを馳せた飼い殺しの夜。
2012年10月 「キビタシの森」公演初日
発注してたドライアイスが手違いで届かない。
刻々と迫る開演時間。その時、テンパった舞台監督から
思いがけない言葉が…。これまでで一番焦ったトラブル。
2012年10月 中学生演劇 闘うアラサー女子
市内の白新中学校で、学校行事の演劇指導に呼ばれた。
演劇がなぜ教育の現場で取り入れられるのか。
一週間で大変貌を遂げる中学生たちに感動。
2012年4月 夢ひかりの子供たちは本物の舞台人
進化がとまらない、キッズミュージカルの子供たち。
この時は子供だけでの仮組み。ありえない光景に目を疑った。
2010年4月 デビュー戦
記念すべき、初めての舞台監督公演。
コンテンポラリーダンスの養成所の卒業公演、
当時まだ出来たばかりの吉祥寺シアターでした。
久しぶりの劇場仕込み。元気に仲間と再会。
幸せでした。その一言に尽きます。
(今回はただの手伝い要員にもかかわらず。)
今回はこれ!12月5、6日公演
東区市民劇団「みなとトンネルを抜けると」
公演情報はこちら。
さて、舞台人たちがもがいている今だからこそ
改めて私の関わった印象的な舞台公演を
自分のブログ記事の中から振り返ろうと思います。
お時間があれば、どうぞお付き合いください。
【略歴】
2010年、劇団四季を退団後
地元新潟で市民演劇、キッズ演劇を中心に活動しています。
2016年に転職後は塾講師&育児を本業としつつ
できる範囲で舞台活動を続けています。
以下、記事のタイトル(一部わかりやすく書き換え)から
該当の記事へリンクします。
2016年2月 試練の公演、モトシキ共演!
本番当日インフルエンザに倒れる東区市民劇団の劇団員たちと
ともに涙を流しながら戦った。
2013年9月 第8回 夢ひかり「かいじゅう島のボー」
2010年から舞台監督を務める魚沼市のキッズミュージカル。
子供たちの舞台魂に加え、父兄たちのド根性も紹介。
2013年8月 女川公演レポート
東日本大震災で被災した女川町で
中学校体育館遠征公演を行う若手劇団の
舞台監督として行った。
一緒に作業をして現地の子供たちの強さに出会った。
2013年5月 オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」再演
初めてのオペラの舞台監督。
楽譜を読む楽しさを知った。
2012年12月 「芸術」と「芸能」は違う!そしてイイ!
地元で照明の会社に入り、お稽古ごとの発表会としての
芸能祭の実態に触れる。こんな世界があったとは!
2012年12月 バレエ「くるみ割り人形」
舞台監督さんの勘違いにより、初めてに近いバレエ現場で
重要転換を任されてしまう。
チャイコフスキーの理想に思いを馳せた飼い殺しの夜。
2012年10月 「キビタシの森」公演初日
発注してたドライアイスが手違いで届かない。
刻々と迫る開演時間。その時、テンパった舞台監督から
思いがけない言葉が…。これまでで一番焦ったトラブル。
2012年10月 中学生演劇 闘うアラサー女子
市内の白新中学校で、学校行事の演劇指導に呼ばれた。
演劇がなぜ教育の現場で取り入れられるのか。
一週間で大変貌を遂げる中学生たちに感動。
2012年4月 夢ひかりの子供たちは本物の舞台人
進化がとまらない、キッズミュージカルの子供たち。
この時は子供だけでの仮組み。ありえない光景に目を疑った。
2010年4月 デビュー戦
記念すべき、初めての舞台監督公演。
コンテンポラリーダンスの養成所の卒業公演、
当時まだ出来たばかりの吉祥寺シアターでした。
「四季みたいに俳優も裏方もみんなプロで
目指す完成形をもっている舞台と違って、
一般の参加者が大勢で芝居を作る場合は、
舞台監督はただ本番を運行するだけじゃ
駄目なんだよ」
市民演劇と関わり始めて10周年の今年。
ようやく師匠のいう意味が分かってきたような
気がします。
来年はまた劇場で多くの笑顔に出会えますように。
市民演劇と関わり始めて10周年の今年。
ようやく師匠のいう意味が分かってきたような
気がします。
来年はまた劇場で多くの笑顔に出会えますように。
納豆と4歳児。
nanaibashi at 10:26|Permalink│Comments(0)
October 02, 2019
怒涛の夢ひかり第14回公演・後編
魚沼の黄金の稲穂実る頃。。
夢ひかりの本番週に突入しました。
今年の演目は、絵本『ビロードのうさぎ』を
ベースにした、『おもちゃ箱の奇跡』。
大切なうさぎのぬいぐるみや、
他のおもちゃ達との心の交流を通して、
小さな少年が成長していくストーリー。
子供部屋が舞台の、めっちゃ可愛い
美術を作るぞ!と父兄たち一丸となり
土日も平日も夏休みも注ぎ込んで
美術班は制作に取り組んできました。
しかし、安定期だと油断していた
マタニティ舞台監督、兼、美術班長。
本番7日前、まさかの
切迫流産症状が出てしまいました。
3年前の、悪夢ふたたび。。。
代わりを頼める人が居ない。
しかし新潟市から魚沼は遠い。
ちょっと行ってすぐ帰って来られる
距離では無いのです。
パパママたちと、ここまで
頑張って作ってきたのに。
でも、仕方ない。
無理はできないので、
とりあえず仕込みは遠隔で
他のスタッフとご父兄に指示をお伝えして
大変なご苦労をかけながら
何とか仕上げてもらいました。
頼もしい皆さまに、感謝感謝です。
そして、数日様子を見た結果
長時間立って動かなければ
意外と落ち着いている、と分かり
何とか本番だけは!!と
振動の少ない新幹線に乗って
二泊三日のゲネプロ本番に挑みました。
初めて、舞監席に椅子を置きました。
9年間、自分で転換をやりすぎて
座ったことが無かったのですが
座布団を置き、つらいと寝転び
椅子から立たずに口だけ出す。
でも袖中は、さすが長年やっている
ベテランキッズたち。
早着替えも次のシーンのスタンバイも
危なげなく整然とこなしてくれました。
結果、4公演、無事に終わり。
私はまた、バラシを皆さんに任せて
新幹線でスタコラ退散。
ほんと、皆さんに守っていただいた
思い出に残る公演でした。
また産休あけたら、
元気に復帰したいです。
今回の心に残るセリフ
『みっともない、は気にならない』。
nanaibashi at 11:55|Permalink│Comments(0)
September 26, 2019
怒涛の夢ひかり第14回公演・前編
ご無沙汰するのが習慣になってしまい
お恥ずかしい限りです。
社長もすっかり、女社長ヅラ。
こちらはフェーン現象の日の一枚。
まずはご報告なのであります。
現在、第二子妊娠6ヶ月であります!
30代でなんとか2人目産みたいという、
若干の妊活の末、希望が叶いました。
初夏から、1人目よりは随分キツい
ツワリと闘いながら、仕事も軽めにし
ゆっくり過ごさせてもらいまして
ヨシ!5ヶ月突入、体調もよくなり、
いよいよ安定期!わーいわーい🙌
とか、
浮かれていた矢先、
またしても切迫流産の危機が勃発。
社長出産の際、
妊娠8ヶ月の直前くらいから
切迫早産になり、約60日、
24時間の点滴入院をした苦い経験があります。
3年前の切迫入院2ヶ月の記録はこちら。
ありゃ、辛かった。。まるで元気なのに
ただただ、寝ているだけという。。
そして点滴を2ヶ月やりつづけると、
元気な血管が品切れになって、
どこに針を入れてもボロボロで上手く流れず、
毎日毎日挿し替えてもらっては漏れ、、
そして、またしても、またしても、
キッズミュージカル夢ひかりの
本番直前のトラブル勃発であります!
あの時は強制入院だったので
降板せざるを得ず大迷惑だったのですが、
今回は、とにかく急に張るように
なったというだけで、まだ
絶対安静指示ではない。
とりあえず、身体に負担がかかる
仕込みから外してもらって、
本番、魚沼に向かうことに賭ける!!!
どうなる〜マタニティ舞台監督!!
後編へ続く。
nanaibashi at 13:34|Permalink│Comments(0)
March 31, 2016
夢ひかり「サラ」再々々演、と御報告
皆様ご無沙汰しておりました~~
生きてます~~
先日27日、夢ひかりが2012年に初演した
オリジナル作品「サラとベイシラマナの森」が
無事、再々々演を成功させました。
夢ひかりが会館のお抱え団体から、運営形態の変遷に伴って
独立するというタイミングであり、
また団体設立から10周年で、第一期メンバーが大学進学のため
一気に卒業し魚沼を去るという節目の三月、
メンバーにとって思い入れの深い、地元をテーマにした
オリジナル脚本で高評価を博した演目を再演して花向けにしよう
という、保護者・関係者の熱い想いによって実現した公演でした。
四年前の記事はこちら。
同じ作品を、同じキャスティングで、4年越しにやる。
となれば、当然、子供たちの成長ぶりが強烈に分かるわけです。
いや、これは本当に面白かったです。見てるのが。
もう、凄いんですもん。
たったの四年で、ここまで変わるのかってくらい変わった。
演技、歌、ダンス。そして意識。
4年前にあんなに頼りなくて、
役が難しくて悩んで、
先生に叱られて泣いて、
緊張して恥ずかしくて泣いて、
衣裳無くして衣裳部屋で謝りながら泣いて、
隅っこでイジけて鼻血ブーブー出していた子たちが、
(↑ 可愛かった4年前)
(↑ 現在。衣裳部屋で謝ってるタイプの筆頭だったヤツ)
客の前で堂々と目を見て演技して、
マイクリレー自分たちで考えて、
小さい子の着替え手伝って、
空き時間にメンバー募って自主練して、
毎回稽古の前、少し早く来て小学生に指示してバミリして、
稽古が終われば隅から隅までちゃっちゃと掃除して、
朝早くから自分のメイクそっちのけでチビたちのメイクしてあげて、
とうとう今回、綱元デビューまでしちゃった。
こんなことって、誰でも出来るんですか?
子供って凄い。
きっと魚沼の子たちだけが凄いのではなくて、
子供には誰でも、これだけのポテンシャルがあるんでしょうね。
出来ることを分かってて、信じて任せた、大人たち
(↑ スタッフが一番頼りにしてる衣裳部かあちゃん戦隊。甘えると叱られる)
ほんのちょっとだけ手が届かない距離にある課題を出し続けた大人たち。
そんな賢くて愛に溢れた大人たちに囲まれて育ったから、
彼ら、彼女らは、毎回手を届かすために一歩ずつ前進し、
今の位置にたどり着いたのだ。
(↑ 発泡スチロールで驚愕の美術を作った大道具部の父ちゃんズ。
追加で発注すると罵声を浴びせられるが、いつのまにか出来ている)
これから夢ひかりは、次世代へ受け継がれます。
経験豊富なお姉さん、お兄さんたちと、
それに伴ってスタッフワークの軸にいたベテランの父兄たちも、
卒業なのです。
こっからが、次の冒険だね。
こんなところで私事ですが、今回の夢ひかりの公演をもって、
メインの職業としての舞台監督を休業することにいたしました。
夢ひかりの舞台監督はライフワークとして続けますし、
趣味でできる範囲ではまだまだ舞台に関わりたいので、
「引退」とは申しませんが、「休日スタッフ」になります。
4月からはフルタイムで英語の先生として働くことになりました。
この年齢からの転職を受け入れて下さった新しい職場に感謝です。
年齢とともに心境の変化がありまして、
もう少しプライベートに重きを置きたくなったというか、
結婚とか出産とか育児とかをやりながらでも仕事は続けたい、と考えた時に、
私の力量や性格では、舞台監督と家庭の両立は難しいと思ったのです。
無理したり妥協したりしながら舞台を一生の職業にするより、
ずっと手元に置いておける、一生の趣味にしたいという判断になりました。
ですので、自分なりの関わり方を見つけて出来ることを
自分のペースでやっていこうと思います。
お仕事でお世話になった皆様、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
結婚、出産、育児が具体的にいつになるかは、まだ未定ですが(爆)
準備は、早めにしないとね!!!
夢ひかりのお母さんたちを見ていると、
私も早く子を育てて、こんな感動を味わいたいなと、
人目も気にせず「息子がこんなに成長したあ!」と号泣したい、と思うのですよ。
あのお母さんたちが、私の憧れなのです。
生きてます~~
先日27日、夢ひかりが2012年に初演した
オリジナル作品「サラとベイシラマナの森」が
無事、再々々演を成功させました。
夢ひかりが会館のお抱え団体から、運営形態の変遷に伴って
独立するというタイミングであり、
また団体設立から10周年で、第一期メンバーが大学進学のため
一気に卒業し魚沼を去るという節目の三月、
メンバーにとって思い入れの深い、地元をテーマにした
オリジナル脚本で高評価を博した演目を再演して花向けにしよう
という、保護者・関係者の熱い想いによって実現した公演でした。
四年前の記事はこちら。
同じ作品を、同じキャスティングで、4年越しにやる。
となれば、当然、子供たちの成長ぶりが強烈に分かるわけです。
いや、これは本当に面白かったです。見てるのが。
もう、凄いんですもん。
たったの四年で、ここまで変わるのかってくらい変わった。
演技、歌、ダンス。そして意識。
4年前にあんなに頼りなくて、
役が難しくて悩んで、
先生に叱られて泣いて、
緊張して恥ずかしくて泣いて、
衣裳無くして衣裳部屋で謝りながら泣いて、
隅っこでイジけて鼻血ブーブー出していた子たちが、
(↑ 可愛かった4年前)
(↑ 現在。衣裳部屋で謝ってるタイプの筆頭だったヤツ)
客の前で堂々と目を見て演技して、
マイクリレー自分たちで考えて、
小さい子の着替え手伝って、
空き時間にメンバー募って自主練して、
毎回稽古の前、少し早く来て小学生に指示してバミリして、
稽古が終われば隅から隅までちゃっちゃと掃除して、
朝早くから自分のメイクそっちのけでチビたちのメイクしてあげて、
とうとう今回、綱元デビューまでしちゃった。
こんなことって、誰でも出来るんですか?
子供って凄い。
きっと魚沼の子たちだけが凄いのではなくて、
子供には誰でも、これだけのポテンシャルがあるんでしょうね。
出来ることを分かってて、信じて任せた、大人たち
(↑ スタッフが一番頼りにしてる衣裳部かあちゃん戦隊。甘えると叱られる)
ほんのちょっとだけ手が届かない距離にある課題を出し続けた大人たち。
そんな賢くて愛に溢れた大人たちに囲まれて育ったから、
彼ら、彼女らは、毎回手を届かすために一歩ずつ前進し、
今の位置にたどり着いたのだ。
(↑ 発泡スチロールで驚愕の美術を作った大道具部の父ちゃんズ。
追加で発注すると罵声を浴びせられるが、いつのまにか出来ている)
これから夢ひかりは、次世代へ受け継がれます。
経験豊富なお姉さん、お兄さんたちと、
それに伴ってスタッフワークの軸にいたベテランの父兄たちも、
卒業なのです。
こっからが、次の冒険だね。
こんなところで私事ですが、今回の夢ひかりの公演をもって、
メインの職業としての舞台監督を休業することにいたしました。
夢ひかりの舞台監督はライフワークとして続けますし、
趣味でできる範囲ではまだまだ舞台に関わりたいので、
「引退」とは申しませんが、「休日スタッフ」になります。
4月からはフルタイムで英語の先生として働くことになりました。
この年齢からの転職を受け入れて下さった新しい職場に感謝です。
年齢とともに心境の変化がありまして、
もう少しプライベートに重きを置きたくなったというか、
結婚とか出産とか育児とかをやりながらでも仕事は続けたい、と考えた時に、
私の力量や性格では、舞台監督と家庭の両立は難しいと思ったのです。
無理したり妥協したりしながら舞台を一生の職業にするより、
ずっと手元に置いておける、一生の趣味にしたいという判断になりました。
ですので、自分なりの関わり方を見つけて出来ることを
自分のペースでやっていこうと思います。
お仕事でお世話になった皆様、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
結婚、出産、育児が具体的にいつになるかは、まだ未定ですが(爆)
準備は、早めにしないとね!!!
夢ひかりのお母さんたちを見ていると、
私も早く子を育てて、こんな感動を味わいたいなと、
人目も気にせず「息子がこんなに成長したあ!」と号泣したい、と思うのですよ。
あのお母さんたちが、私の憧れなのです。